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石巻市での救護活動

<このたびの東日本大震災 により被害を受けられた皆さまに 心からお見舞い申し上げます。>

医師Sです。
3/31~4/4までの5日間(実質活動は3日間)石巻市で救護活動に従事してまいりました。
この度の国難に際し、非常に多くの方々の好意にて多額の義援金が当社にも寄付されておりますが、少しでも活動内容を知っていただけたらと筆をとりました。
当院からのチームは医師1名、看護師4名、事務2名の計7名でした 。

3/31
11時半に病院を出発。空港で食事を摂り13時の飛行機でまずは空路羽田へ。
羽田で乗り換え秋田へ。到着は18時半。
空港で夕食をとり自走で石巻市へ。
22時30分に到着。前任のチームより引継ぎを受け勤務開始。
専修大学の救護所(当初24時間体制)+避難所2箇所のあるエリアを3日間任される。
当エリアは自分達1チームのみで勤務。
夜間帯は来院者0名。

4/1
6時起床。朝食を取り診療を開始。
7時より石巻赤十字病院にて全チーム合同のミーティング。
救護所に帰還後診療再開。
9時に石巻市立病院より医師2名、看護師2名の派遣あり(15時まで)。同時に救護所を後にして避難所①(石巻商業高校)へ。
12時に診察を終え、30分ほど被災地を訪問したのち救護所に帰還。
昼食後に14時より避難所②(専修大学)へ往診。
15時に診察を終え救護所に帰還。救護所にて診療開始。
18時に石巻赤十字病院にて合同ミーティング。
19時に救護所に帰還後診療再開。
診察の合間に夕食を摂る。
22時以降は翌朝まで来院者0名。

4/2
スケジュールは基本的に4/1と同じ。
しかし、4/3(4/4は移動日)まで1チームのみで72時間連続で勤務することは非常に困難であることを対策本部に訴えた結果、診療時間を8:00-20:00までとすることとなる。
午前中に時間が空いた他のチームが避難所?の往診をして頂いた。
15時より避難所?を取り仕切る役員の方とミーティング。
20時にて診療終了。

4/3
スケジュールは基本的に4/1と同じ(ただし診療時間は8:00-20:00)。
午前中に時間が空いた他のチームが避難所?の往診をして頂いた。
20時に診療終了。
20時半に後任のチームが到着。引継ぎを行う。
21時半に石巻市を出発。途中高速のサービスエリアで久しぶりに普通の食事を摂る。

4/4
2時に秋田のホテルに到着。仮眠を取り6時半にホテルを出発。
7時半の飛行機で羽田へ。羽田で乗り換え14時に島根へ到着。

<備考>
今回の任務で多くの被災者の方々と触れ合ったり、被災地を訪問することができました。
一番強く感じたのは日本人の強さ、そして勤勉さです。
もちろん被災地の方々だけで復興をするわけではなく、自衛隊の方々(現在のべ10万人が活動)や多くのボランティアの方々の力があってこそのことですが、早くも道路は整備され予想以上に復興が進んでおりました。
水没していたはずのお店も一部(おそらく)営業しておりました。
入学式シーズンの現在、そのお店が制服店だったことが絶望の中にも希望を見出しているようで非常に印象的でした。
日和山公園というところから眺めた海岸近くの町並みはまさに戦後の焼け野原のようでした。
心を痛めた方も非常に多くいらっしゃいました。
毎日津波の夢を見て起きた時には汗をびっしょりかいているとか、家族を自分たちで捜索している時に数々の遺体を見たとか、家の中に浸水してきて天井との間でつぶされそうになった瞬間天井が崩れて助かった方など、本当に様々な方がいらっしゃいました。
しかし、3週間たって多少なりとも心の痛みが緩和されたためか、食料が足りてきたためか、震災以来初めてお風呂に入ることができたためか、多くの笑顔も見ることができました。
当地域では噂されていた盗難・略奪なども起きていない様子でした。
本当に日本人は礼儀正しく忍耐強い民族だと感じました。
みんなで助け合い、立ち直ろうとする姿を見ました。
心の闇は非常に深く、先が全く見えない現状だとは思います。
それでも笑顔で接してくれた皆さんのことは忘れることができません。

<任務に関して>
患者さんの9割はかぜ・嘔吐下痢・花粉症でした。来院者は1日80-100名(避難所往診込み)。
救護所は体育館の1室を借りて作ったもので、薬品や診察道具など持込したもの以外に医療専用の道具(ベッドや点滴台等)はゼロ。卓球台などで間仕切りを作ったりしてありました。
できることは、診察・簡易のエコー・心電図検査のみ。血液検査・レントゲン等もできません。
診断に迷った時は悪いほうを考えて投薬をしました(ex抗生剤を出す?出さない?)。判断に困ったときは石巻赤十字病院に搬送しました。
避難所は衛生環境が非常に悪く、インフルエンザや嘔吐下痢が蔓延する可能性が高いため、トイレ後に手も洗えない現状でいかに感染拡大を防ぐかを一番に考えて行動しました。
避難所によっては、土足で生活しているにもかかわらず震災後一度も掃除ができていないというところもありました。
自分たちが行ったときは食料自体はむしろ過剰にありました。しかし、その大半が炭水化物であり栄養が偏ること、被災者の方々が毎日同じものばかりでうんざりしていること、せっかく支援してもらったものと無理をして食べて体調を崩す方もいらっしゃいました。
石巻赤十字病院に対策本部がありますが、そこは全体の現状の把握・チームの割り振りなどに苦心しており、診療体制や感染症対策などエリアごとの問題はエリアで診療を行っているチームが考えて行動する完全地方自治のような体制でした。
カルテの管理・カルテ記載のルール・処方の日数・避難所での診療体制・避難所への最新式の仮説トイレ(感染症対策の一環)の要請・避難所での隔離部屋の設置・救護所の診療時間など多くの変更をさせていただきました。
診療時間に関しては、夜間来院者は実質0名であったため、最後まで24時間体制を貫くことは不可能ではなく、避難所の方からも「24時間の方が安心」との声も当然あり非常に心苦しくありましたしみんなで悩みました。
しかし、慣れない土地で全く違う労働環境で72時間ひとときも切らさず緊張感を保つというのは想像以上に心身ともに疲労いたします。
救護活動が今回限りであればそれで燃え尽きても構いませんが、今後半年1年と継続していく活動ですので継続性を優先させて判断させていただきました。*石巻赤十字は24時間体制。

今回の未曾有の国難に対する日本人の精神・アイデンティティーというものを直接肌で感じることができました。
今までどこか冷めていた日本人が心をひとつにして頑張れば必ず日本全体として立ち直れると確信しました。

プロフィール

益田赤十字病院

Author:益田赤十字病院
島根県益田市にある赤十字病院です

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